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日本后纪

卷第三十
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日本後紀巻三十逸文(『類聚国史』七一朝賀・『日本紀略』)《起弘仁十三年(八二二)正月、尽同十四年四月。》

十三年春正月癸巳朔。皇帝御大極殿、受朝。京官文武王公以下、及蕃客朝集使等、陪位如儀。

甲午。賜明日香親王度一人。

乙巳。大納言正三位兼民部卿藤原朝臣緒嗣奏言。昔恭陸奥出羽按察使、往還遠路、略知人苦。民之重役、莫過駅子。畏景揚炎、則向長坂而飲汗、厳冬□烈、則被短褐而履氷。不顧生業、常疲送迎。伏望。諸国駅子、准書生之例、毎戸量給借貸稲二百束、兼択駅下好田、混授一処。許之。

己亥。御豊楽殿、宴群臣及蕃客。授无品高丘親王四品。正三位藤原朝臣緒嗣従二位。正四位下藤原朝臣真夏従三位。従五位下岩田王従五位上。无位豊江王、正六位上岡谷王従五位下。従四位下石川朝臣河主。佐伯宿祢長継・橘朝臣氏公・佐伯宿祢清岑従四位下。正五位上路真人年継・石川朝臣継人・藤原朝臣伊勢人従四位下。正五位下坂本朝臣佐多気麻呂正五位上。従五位上清原真人夏野・大伴継□・出雲宿祢広貞・藤原朝臣浜主・橘朝臣長谷麻呂正五位下。従五位下橘朝臣清野・藤原朝臣承之・文室朝臣弟貞・大中臣朝臣淵魚・住吉朝臣豊継・大伴宿祢友足・多治比真人育治・秋篠朝臣男足・紀朝臣善岑・坂田朝臣弘貞従五位上。外従五位下清川忌寸斯麻呂・秦忌寸大山、正六位下紀朝臣深江・大春日朝臣穎雄、従六位上小野朝臣弟貞・藤原朝臣家雄、正七位上、小治田朝臣常房、従七位上多治比真人弟人従五位下。正六位下殖栗連浄成、従六位下額田国造今足、正七位下大蔵忌寸横佩、従八位上上毛野朝臣真綱、外正六位上国造道吉外従五位下。

癸卯。任官。

御豊楽殿、宴五位已上及蕃客。奏踏歌。渤海国使王文矩等打毬。賜綿二百屯為賭。所司奏楽。蕃客率舞。賜禄有差。

己酉。御豊楽殿、観射。

饗王文矩等於朝集殿。

癸丑。文矩等帰蕃。賜国王書曰。天皇啓問渤海国王。使至省啓、深具雅懐。朕以菲昧、虔守先基、情損善隣、慮切来遠。王俗傳礼楽、門襲衣冠。器範淹通、襟礼劭挙。其儀不■,執徳有恒。靡憚艱究、頻令朝聘。絶鯤瞑而掛帆、駿奔滄波随雁序。磬制絳闕、不有君子、其能国乎。言念血誠、無忘興寝。風馬異壌、斗牛同天。道之云遥、愛而不見。不少国信、至宜領受。春初尚寒、比平安好。今日還次、略此不悉。

丁巳。遊猟于北野。

戊午。左右京大夫、為従四位下官。

己未。遊猟于芹川野。

二月癸亥朔。任官。

己巳。遊猟于栗前野。

戊寅。制。五位已上、高年者、不預朝会。但賜節録而已。

壬午。遊猟于水生野。

癸未。遊猟于芹川野。

(『日本紀略』)丙戌。任官。」(『類聚国史』六六薨卒・『日本紀略』)散位従四位下藤原朝臣道継卒。道継者、従五位下鳥養之孫、贈従二位大納言小黒麻呂之第二子也。才能不聞、武芸小得。好酒及鷹。老而弥篤。時年六十七。

庚寅。幸於神泉苑。宴侍臣、命文人賦詩。賜禄有差。

乙巳。公卿奏曰。弘範八政、以食為首。云々。伏望。近江国縁江諸郡、穀十万斛、収穀倉院、尋運越前国物、便填其代。云々。依請。

丙午。任官。

夏四月辛酉朔。日有蝕之。

戊寅。御冷然院。

癸巳。伊勢守従四位下藤原朝臣藤成卒。右大臣従二位魚名之第五男。口吃言語渋。歴任内外、無可無不可。時年■40)七。

丁酉。任官。

壬寅。石見国飢。賑給。

壬戌。伝灯大法師位最澄言。夫如来制戒、随機不同。衆生発心、大小亦別。伏望。天台法花宗年分度者二人、於比叡山、毎年春三月先帝国忌日、依法花経制、令得度入海、十二箇年、不聴出山、四種三昧、令得修練。然則、一乗戒定、永伝聖朝。山林精進、遠勧塵劫。許之。

(『類聚国史』一七九諸宗・『日本紀略』)癸亥。伝灯大法師位最澄卒。云々。延暦末入唐請益。皇太子■事陸淳左降台州刺史。会屈天台宗道■和尚為座主。儻預講筵、稟学略了、良縁有感、一面為歓。助写宗書三百余巻訖、即復本職、拝別上京。既而随使帰来、弘演宗義。云々。」(『日本紀略』)年五十有四。

庚辰。尾張国熱田神奉授従四位下。

甲申。任官。

秋七月庚寅。制。頃日、炎旱渉旬、田苗枯損。夫引水漑田、皆従下始。潅漑之事、先貧後富、是即、法令立文、時制所明。人情暴慢、猶犯典礼、漑用偏頗、争訴良繁。宜重下知、得加禁制。

辛卯。修理職置算師一員。

癸巳。遣使畿内諸国、祈雨。

(『類聚国史』三三服御)甲午。詔曰。間者、嘉雨騫応、炎旱淹旬。走幣群神、聊无■感。詩不云乎。旱既太甚、憂心如熏。朕并皇后服御物、宜従省撤廃。云々。」(『日本紀略』)其四位給籾千斛、五位八百斛、六位已下三百斛。

丙申。以新銭百貫、班給諸王貧者。(『類聚国史』七八賞賜・『日本紀略』)」」山城国飢。賑給。(『日本紀略』)」(『類聚国史』一七三疾疫・『日本紀略』)甲斐国疾疫。遣使賑給。」▼(『日本紀略』)是日。公卿等言。云々。伏望。五位以上封禄■暫)亦減省。云々。許之。

辛丑。任官。

乙巳。新羅人■40)人帰化。

八月戊午朔。令諸国於国分二寺、七日七四悔過、兼修清神社。為災害頻発、年穀不登也。

庚申。奉授乙訓・広湍・竜田等神従五位下。

相模守従四位下藤原朝臣友人卒。右大臣従一位是公之男、従三位乙麻呂之孫。為人■々不護礼度。雖好仙道、控地不登。大同之初、縁坐伊豫親王事、左降下野国守。弘仁年中、有恩入京、授従四位下、俄任相模守。病発卒官。年五十六。

丙申。御神泉苑、宴侍臣、命文人賦詩。賜禄有差。

丁未。典侍従四位下清原朝臣吉子卒。

癸丑。常陸国言。俘囚吉弥侯部小槻麻呂云。己等自帰朝化、経廿箇年、漸染皇風、兼得活計。伏望。為編戸民、永従課役者。勅。夫仰化之情、信有可愍。宜聴附公戸、莫科課役。

甲寅。遊猟于北野。

(『日本紀略』)閏九月戊午朔。任官。」(『類聚国史』九九叙位)正六位上橘朝臣百枝授従五位下。

(『類聚国史』七四冬至八六赦宥・『日本紀略』)十一月丁巳朔旦冬至。百官奉賀。詔曰。神功不宰、万物楽其遂生、聖徳無外、億兆述其蔵用。故能光宅区宇、経緯陰陽、大庇生霊、闡揚鴻烈。朕以眇身、恭膺司牧、履薄乗奔、常懐恐懼。比有司奏稱。今年十一月、朔旦冬至。終而復始、得天之紀。灰飛寒律、節興微陽。踐長之慶、非無故実、延祚之義、抑有前聞。朕之寡徳、何独当仁。思与天下、同享斯福。自弘仁十三年十一月二十四日昧爽以前。徒罪已下。無問輕重、皆咸従免除。但八虐・故殺人・謀殺人・強竊二盜・私鋳銭、常赦所不免者。及欠負官物之類、不在赦限。若以赦前事、相告言者、以其罪罪之。其門蔭久絶、及才効早著、特加崇班、用申光寵。内外文武官主典以上、叙爵一級。在京正六位上官人、及史生以下直丁以上、宜量賜物。庶恩栄於赤県、答霊■於蒼天。布告遐邇、知朕意焉。」(『類聚国史』九九叙位)授正四位下藤原朝臣継彦・紀朝臣百継従三位。正四位下平野王正四位上。従四位下直世王従四位上。正五位下高瀬王従四位下。従五位上弟野王正五位下。従五位下野倍王従五位上。正六位上氷上王従五位下。従四位下安倍朝臣男笠・安倍朝臣雄能麻呂従四位上。正五位下藤原朝臣浜主従四位下。従五位上中臣朝臣道成・百済王元勝・大伴宿祢国道正五位下。従五位下石上朝臣美奈麻呂・藤原朝臣広敏・長岡朝臣岡成・藤原朝臣葛成・大伴宿祢山道・和朝臣綱継・粟田朝臣鯨・石川朝臣清道・藤原朝臣八綱・藤原朝臣愛発・大伴宿祢宅麻呂・滋野宿祢家訳・佐伯宿祢弓継・高階眞人弟中従五位上。外従五位下林朝臣山主・貞江連継人・真■苑)宿祢雑物、正六位上橘朝臣氏人・紀朝臣名虎・坂上大宿祢鷹主・石上朝臣雖・小野朝臣石雄・大神朝臣池守・文室朝臣綿人・藤原朝臣衛・大原真人浄主・藤原朝臣貞主・上毛野公祖継・安倍朝臣安麻呂・池田朝臣黒主・佐伯宿祢巻継・笠朝臣年嗣従五位下。」(『日本紀略』)《女叙位。》

辛酉。任官。

辛巳。任官。

癸未。遊猟于瑞野。

乙巳。中納言従三位行春宮大夫左衛門督陸奥出羽按察使良岑朝臣安世上疏曰。云々。又河内国、諸家庄園、往々而在。土人数少、京戸過多。伏望。不論京戸土人、営田一町者、出挙正税卅束。云々。許之。

弘仁十四年春正月丁巳朔。御大極殿、受朝賀。宴侍臣於豊楽殿、賜被。

辛酉。有星。孛于西南。三日而不見。

(『類聚国史』七一七日節会・『日本紀略』癸亥。御豊楽殿、宴群臣。賜禄有差。)」(『類聚国史』九九叙位无位高棟王授従四位下。従五位下継野王従五位上。正六位上津嶋王・山名王・岡野王従四位上。従四位上佐伯宿祢長継正四位下。従四位下藤原朝臣道雄・紀朝臣長田麻呂従四位上。正五位下坂上大宿祢広野・橘朝臣長谷麻呂従四位下。従五位下藤原朝臣河主・藤原朝臣浄本・粟田朝臣飽田麻呂・安野宿祢文継・吉田宿祢文主従五位上。正六位上藤原朝臣常嗣・春原朝臣永世・藤原朝臣豊主・高階眞人石川・多治比真人興宗・橘朝臣氏守・紀朝臣諸継・雀部朝臣家継・永世朝臣公足・県犬養宿祢浄人従五位下。正六位上安野宿祢真継・百済公継嶋・□岐史真鷹・栗前連名正・河内忌寸浄浜・広宗連糸継・阿閇臣氏成外従五位下。)」(『東大寺要録』一〇。下文三月癸亥条と同文。恐らく誤り。)弘仁十四年正月癸亥。令百僧、於東大寺、行薬師法。欲除疫疾。

(『類聚国史』九九叙位)甲子。正六位上丹治比宿祢村人授外従五位下。」(『日本紀略』)《女叙位。》

丙寅。任官。

丙子。新銭百貫、賜大和国、充築益田池料。

丁丑。常陸国従五位下筑波神、為官社。以霊験頻著也。

甲申。遊猟于芹川野。賜侍臣并山城国宰衣被。

二月丙戌朔。賜銭左右京飢民。

丁酉。遊猟于栗前野。

庚戌。流興福寺僧中源・■信、元興寺僧永継等遠江国。並縁婬犯也。

癸丑。幸无品有智子内親王山庄。上欣然賦詩。群臣献詩者衆。賜禄有差。▼是日。内親王授三品。従五位下藤原朝臣常房・巨勢朝臣識人従五位上。正六位上文室朝臣永年従五位下。従五位下交野女王・永原朝臣真殿従五位上。无位坂本朝臣宮継従五位下。

是月。天下大疫、死亡不少。□海道、尤甚。

三月丙辰朔。割越後国江沼・加賀二郡、為加賀国。以部内■闊)遠、民人愁苦也。▼是日。任官。

癸亥。令百僧於東大寺行薬師法。欲除疾疫也。

辛未。京師米貴、人皆飢乏。出穀倉院穀一千斛、減価売与貧民。百姓悦焉。

甲戌。下野国芳賀郡人吉弥侯部道足女、授少初位上、免田租終其身、標門閭以褒至行也。同郡少領下野公豊継之妻也。夫死之後、誓不再■、常居墓側、哭不絶声。

丙子。任官。

丁丑。左右京飢。出穀倉院穀、賑給。

夏四月乙丑朔。任官。

(『類聚国史』二五太上天皇・『日本紀略』)甲午。帝遷冷然院。」(『日本紀略』)詔右大臣藤原朝臣冬嗣曰。朕思伝位于皇太子矣。今将果宿心、故避宮焉。冬嗣曰。聖唯知聖。今陛下、以万機、付託聖人、天下幸甚。但比年之間、豊稔未復。若一帝二太上皇、臣恐天下難堪。臣願■暫)待年復、然後伝位、於事不晩。帝曰。朕心素定。又推賢譲位、唯為天下。賢君臨政、何有年之未復乎。

庚子。帝御前殿、引今上曰。朕本諸公子也、始望不及。於太上天皇、曲垂褒餝、超登儲弐。遂遜位于朕。躬辞不獲免、日慎一日、未幾而身嬰疹疾、弥留不廖。為万機擁滞、令右大臣藤原朝臣園人、奉還神璽。朕始有帰閑之志、太上天皇、不允所請。当此之時、有小人之言、令太上皇、与朕有隙。公卿相共議、逐君側群少。太上天皇、不察愚款、有入東之計。「群臣不安社禝遣邀之。(この間、脱字あるか。)」朕赤心有■日。朕以寡昧、在位十有六年、太弟与朕、春秋亦同。朕雖乏知人之鑑、与太弟周旋年久。太弟之賢明仁孝、朕之所察。仍欲伝位於太弟、已経数年。今果宿心、宜知之。今上避座跪言。臣以闇劣、疏派天■。昔属世花■、自謂不免於禍、会逢聖明、更同再生。幸莫大焉、又何所望。而陛下殊奨、忝茲儲両。然身有犬馬之病、不堪承■之状、屡語右大臣。戦々恐々、得到于今。而今復以大宝、俯授愚蒙。心魂迷惑、不敢承勅。仍答曰。今日以前、朕遇太弟如子。今日以後、遇朕亦如子耳。今上奉表曰。臣聞。云々。帝不聴、詔曰。現在神《止》大八洲所知、。云々。」翌日、今上朝于冷然院、重抱表陳譲曰。云々。帝遂不許。

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